五○××年 △月×日

Kasaku2_4川上 智史さん 23歳(大阪大外国語学部4年)

11月の書き出し
 独裁者は、辞書からある言葉を抹殺するように命じた。言葉が消えると、実体もなくなる。ゆえに、ここで私が、これから消えようとする"ある言葉"が何なのかということに言及せずとも、それは何の問題にもなりえないだろう。たとえ記してみたところで、明日にはこの手記からもどこからも、その言葉は消えてなくなってしまっているのだから。
 そしてまたそれと同じ理由で、私がこの手記の一ページ目を埋めるにあたって、決して小さくはない戸惑いを覚えていることも記しておく。明日は大丈夫であっても、明後日にはこのページから一つ言葉が消え、書いた本人でさえその言葉のことをもう思い出せなくなってしまっているかもしれない。そうやって一つ、また一つと私の記した言葉が永遠に失われていく。しまいにはもう、それは手記としての意味を持たず、ただの紙切れ同然の価値しか持たないものに成り果ててしまう可能性だってある。むしろ、そちらの公算の方が大きいようにさえ思える。私はこの手記に、記すこと以上の意味を求めることはできないのだ。しかしこうして考えているうちにも、ペンは自然と動いているのだから不思議だ。
 『言葉を浄化する!堰(せき)のない川のごとく氾濫(はんらん)した言葉、そして度し難く乱れた行い――それらをこの私の世界から排除するのだ!』独裁者は高らかにそう叫び、言葉の抹殺を宣言した。これに対して多くの民衆は、陰ながらではあるにしても批判し、どうにか阻止することはできないものかと画策している。
 しかしその一方で、この言葉狩りに賛同している者がいるのも、また一つ確かなことである。『生活に支障の出るものが消えるわけじゃないんだろう?』『ちょうどいい機会だ。散らかっていたのを整理して、すっきりしちまえばいいんだ』『そうだ、世の中もっと分かりやすい方がいい』というのが彼らの言い分だ。しかし言葉の簡素化は、思考の簡素化につながる。彼らは言葉だけでなく、考えることをも放棄してしまおうというのか。それではまるで逆行状態。サルへの逆戻りとなってしまうだろう……。
 さて、ここで最後に、一つの事実を記しておこうと思う。これは、過去における事実であるのと同様、私たちの未来における事実となりうるものでもある。それは――独裁者が言葉の抹殺方法を見つけ出してきたのだという古代の遺跡。三千年以上もの昔に栄えたと思われるその文明は、我々と同等と言えるほどに高度な発展を遂げていたにもかかわらず、言葉の文化はひどく未熟なものであった――というものである。これがいったい何を意味しているのか、ここにわざわざ書くまでもないだろう。
 今日はここでペンを置く。

'09年11月「独裁者は、辞書から…」
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未完の暗号

Kasaku2_4辻 健太さん 22歳(東京大教育学部4年)

11月の書き出し
 独裁者は、辞書からある言葉を抹殺するように命じた。言葉が消えると、実体もなくなる。今発表されたばかりの命令は、もうまもなく遂行されるという。
 作家にとっては痛い決定だ。世界を表現する方法が狭くなるのだから。もちろん、実体がなくなる以上もはやそれを表現する必要はないわけだが、それでもやはり、世界が狭くなるというのは寂しいものだ。
 そんなことをぼんやりと考えながらテレビ中継を眺めていると、庭に面した窓が勢いよく開いた。
「ちょっと、テレビ見ましたか!」
 作家仲間の加藤氏だ。妙に焦っているようだが、あの命令の件だろうか。
「言葉の抹殺ですか? 見ましたよ。まったく、とんでもない指導者ですね。しかし、言葉がひとつ消えるぐらいで、そんなに大騒ぎしなくても……」
「私たちの世界はそうでしょうが、下の世界のことも考えてみてくださいよ。そう、私たちが創(つく)り出す世界ですよ! たったひとつでも言葉が欠ければ、私たちの創る世界は今よりも狭くなります。その世界の中でまた今回のような独裁者が現れたら……。そして、その世界の作家が創る世界にもまた独裁者が……。そんなことになれば、最後には言葉そのものがなくなってしまう! 作家としてそんなことが許せますか!」
 そう言われてみれば、確かにそうだ。ここのところのスランプですっかり作家らしさを失くしてしまったのかもしれない。自分の創る世界には責任をもたなければならない。しかし ……。
「しかし、今さらどうしようと言うのです?」
「言葉が消えてしまう前に、私たちがあの言葉をテーマに作品を書くのです。たとえ実体が消えようとも、インクの染みにしてしまえば少なくともそれは残る」
 名案だ。効果的なうえ、実に作家らしい方法ではないか。この世界で言葉が消えたとしても、上の世界には依然として残っているはず。そして上の世界に存在する以上、この世界に再び存在し得る可能性が残されるのだ。もしかしたらその言葉は読めなくなってしまうかもしれない。しかし、物語の中にあれば再び意味が付与されることも十分考えられる。
「やりましょう、すぐに! もう言葉を消すための会見は始まっています! ほら、早く!」
 私たちは原稿用紙の升目などお構いなしに、ただがむしゃらに筆を走らせた。今までのスランプが嘘(うそ)のように筆が進む。使命感がなせる業というのだろうか。
 そしてしばらくして、二人は同時に筆を止めた。先に口を開いたのは加藤氏だった。
「あの、私たち……何について書いてるんでした?」
 わからなかった。言葉を守る執筆だということは覚えていても、見慣れないその文字はまるで暗号のようだ。私たちは筆を止め、未完成の暗号と向かい合う。
 いくつもの世界の未来が、今この手にかかっている。

'09年11月「独裁者は、辞書から…」
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世界への償い

入選作品竹村 真有子さん 22歳 (甲南大文学部4年)

■11月の書き出し
 独裁者は、辞書からある言葉を抹殺するように命じた。言葉が消えると、実体もなくなる。
 「その言葉は……悪だ。」
 ――世界を好き勝手に統治してきた先王である父が突然病に倒れ、急遽私が国王……独裁者になった。
 先王は自分の国を広げることしか考えず、山を裂き、緑の草原を色のない焼け野原に変え、平和に暮らしていた原住民を何もない世界の果てまで追いやった。
 その強大な軍事力に逆らえる者はおらず、悪行に歯止めが利かなくなり、いつしか独裁者と呼ばれるようになっていた。もう世界のほとんどを手にしている。
 息子である私は、生まれた瞬間から世界中に忌み嫌われてきた。国民の私を見る目は誰もが槍のように鋭く、目を合わせただけで心臓に針が突き刺さるような心地がした。
 もうこりごりだった。父のしていることは間違いだとわかっていた。わかっていたが怖かったのだ。国を一つ手に入れるごとに目を血走らせ、歯を剥き出しにして笑う父の姿が。
 父が倒れた今、世界への償いのため、いや自分のためだろうか……独裁者となった私はある言葉を消すことにした。その言葉は――

 “悪”という言葉が音もなく世界中の辞書から消えた。独裁者はすぐに変化に気付いた。
 なんと自分の体が透けているのである。独裁者の“悪”が消え、“善”の残った姿が透けた体だったのだ。独裁者は宮殿の世界中を見渡せる窓から世界の様子をうかがった。
 世界は透けていた。透明度に差はあるものの、世界に透けていない人間はいなかった。独裁者より透けている者もいる。
「なんだ、お前たちも私と同じじゃないか……」
 独裁者が呟いたと同時に背後のドアが勢いよく開いた。
「国王様!先王様が……先王様がッ!」
 先王の看病をしている召使いが真っ青な顔をして叫んだ。もちろんその顔も透けている。
「せ、先王様が、突然目の前から跡形もなく消えられました……ッ!」

[2009年11月16日掲載]

Alicekara_1ある言葉が抹殺されると実体もなくなる、という設定は私が創ったものですが、それが概念の場合は程度に応じて透けていく、とまでは考えていませんでした。このオチのあとに、もうひと山あれば……という気もしますが。


'09年11月「独裁者は、辞書から…」
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うしなうもの

入選作品栗林 杏子さん 18歳 (北里大薬学部1年)

■11月の書き出し
 独裁者は、辞書からある言葉を抹殺するように命じた。言葉が消えると、実体もなくなる。
 街の中のいたるところには不自然な空白。
 いつのまにか日常のひとつになったそれを僕はぼんやりと眺める。
 最初は僕のお気に入りの本から何かの言葉が消えた。
 次は僕の部屋の窓のそばにあった何かが無くなった。
 またその次には食べていた夕食のサラダの中から何かが消えた。
 何かが消えることが人々にとっての日常となったのはいつの頃からだろうか。
 最初は、人々は失った何かを惜しみ、嘆いた。
 しかしいくら嘆き、理不尽な仕打ちに憤ったところで何をなくしたのか、それがどんな名前だったか、どのようなものでどんなに大切だったのか、もしくはどうでもよかったのか。
 人々はそれすらも思い出せなかった。
 独裁者は言葉を消すことで、その存在そのものを消したのだ。
 その存在が存在したという過去も、記憶も。
 人々はいつしかそれを思い出すことをあきらめた。
 消されていくものも、街にできる空白も、それが以前からあった当たり前のものとして受け入れた。

 僕はいつのまにか開くことをやめ、ほこりをかぶっていた辞書を久しぶりに手に取った。
 辞書は不自然な空白だらけで、虫に食われた葉っぱのようだ。
 きっと人々はいつかこれが不自然だとすら思わなくなるのだろう。
 そう考えるたびにこう思う。
 きっと僕たちはいつか、自ら「失う」ということの存在すら忘れてしまうのだろう、と。
 言葉を消されずとも何かを忘れてしまうということは恐ろしいことなのだろうか。
 それとも、この空白だらけの世界を生きる僕らにとっては、幸せなことなのだろうか。
 僕はふと、自分の手を眺める。
 今僕は何かを持っていただろうか。
 何となく本棚に視線をやると、不自然な空白がひとつあった。
 ああ、また世界から何かが消えたのだ。

[2009年11月9日掲載]

Alicekara_1何が失われたのか、それさえわからない。ただ理不尽な喪失感だけが人々を襲う。よく考えてくれましたね。読んでいて哀しい気持ちになりました。実はこれは、現在、私たちが体験しつつあることなのかもしれません。

'09年11月「独裁者は、辞書から…」
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パンドラの箱

入選作品川村 勇介さん 21歳 (近畿大文芸学部3年)

■11月の書き出し
 独裁者は、辞書からある言葉を抹殺するように命じた。言葉が消えると、実体もなくなる。
 言葉が抹殺されてしかるのち、異様な現象が世界各地で起こり始めた。自殺者が増加したのだ。私はその不可解な現象を研究するよう独裁者から命令された。
 時期から考えて独裁者があの言葉を消したからだと思われるが、私にはなぜあの言葉が消えてそんな現象がでるのか理解ができなかった。
 各地で自殺者だけが増え続けるにも関(かか)わらず調査は停滞していた。そんな時、私の家に小包が送られてきた。中にはビデオテープが入っており、差出人は海外の大学で研究している古い友人だった。
 私は訝(いぶか)しみながらもそのテープをデッキにセットした。ブラウン管に映った友人は襟を整え、しばらくして話し始めた。
「やあ、久しぶりだね。突然のことで驚いただろうと思うけど、君に教えたいことがあってこのテープを撮ってる。僕はね、君が調べてる自殺増加の原因が分かったんだよ。
 ふふ、君の驚く顔が目に浮かぶよ。君は冷静に見えてプライドが高かったからね。さて、さっそく本題に入ろうか。
 君もこの現象は独裁者がこの世から『絶望』を消し去ったことが始まりだということは気づいていると思う。それは近年の自殺者の数を調べたデータを見れば明らかだ。けれど、なぜ『絶望』を消したことで自殺が増えたのか分からないんだろう。さあ、ここで発想を逆転させよう。『絶望』できないということはどういうことか?
 何の苦労もなく今の職についた君には理解できないかな。じゃあ、私から答えを教えてあげよう。『絶望』できない人たちはね、希望を持ち続けるんだよ。
 そんなことは当然だ、君はそう思ってるだろう。でもそれが常人には辛(つら)いことなんだ。考えてみてくれ、目の前に実現不可能な夢があるとしよう。そうだな、天に届く塔を作ろうとして崩れてしまったバベルの塔を思い浮かべてくれればわかりやすいかな。
 残酷な話だよ。『絶望』をなくしてしまった人々は崩れたバベルの塔を作りなおさなければならない。永遠に建てられない矛盾を抱えながらも、希望しかないあまりに他の方を向くことができなくなったんだ。
 自殺したのは、そんな運命に気づいてしまった人たちだ。永遠に建てることのできないバベルの塔を、希望を持ち続け作らなければならない地獄に。そして、残ってしまった希望に『絶望』もできず、人々は狂って自分を正当化するか、自らの死しか逃げ道がなくなってしまった。これが自殺者増加の原因なんだ」
 テープが切れ砂嵐がうるさく音をたてた。テレビのスイッチを切る。暗くなったブラウン管に古い友人の顔が映っていた。

[2009年11月2日掲載]

Alicekara_1ある言葉が消えたため自殺者が増え続けるという謎。それを解き明かすビデオテープ。見事な構成で、哲学的なテーマをぐいぐい読ませます。反対語を持つ概念は、えてして一方だけでは存在できないものなのですね。

'09年11月「独裁者は、辞書から…」
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