朧月幻夜(ろうげつげんや)
信貴彩花さん 18歳
(関西大 文学部 1年)
■4月の書き出し
朧月がきれいな夜だった。あなたも覚えているでしょう。二人で井戸の底から見上げたね。
周瑜(しゅうゆ)は、横に立つ孫策に話しかけながら微笑んだ。孫策(そんさく)も周瑜に微笑みを返す。
「覚えてる。涸(か)れ井戸の底には幽霊がいるって噂を確かめようとしてさ。そしたら縄が切れて上がれなくなって、そのまま一晩過ごしたんだっけ。馬鹿なことやったよな。幽霊なんて、いるわけないのに」
思い出して、二人はくすくす笑いあった。彼らの上に、あの時のように柔らかな月の光が降り注ぐ。
「懐かしいね」「……だな」
次の朝、孫策の父に救出された後、大目玉をくらったのも今となってはいい思い出だ。子供の頃の、話。もう、十年以上も前のことになってしまった。
懐かしげに朧月を眺める周瑜に、孫策は「ところで」と声をかけた。回想を遮(さえぎ)られた周瑜は、孫策の方に顔をめぐらせる。
「こんな夜中に何してるんだよ。明日も仕事だろ。大丈夫か? それとも睡眠不足にかこつけて仕事をさぼる気か? 偉いんだから、仕事から逃げるなよ」
「あなたこそ、夜中に人の屋敷で何してるんですか。それに、主君のくせに脱走名人だったあなたに言われたくないです。だいいち、私はそんなことしません」
ふいっとそっけなく周瑜が言った。ふてくされるかと思ったけれど、孫策は、にこっと笑って周瑜の額を指で軽くつついた。
「言いやがって。……大した理由じゃない。ただ単におまえに会いたかっただけだよ」
周瑜は驚いたような顔をした。やがて、彼の綺麗な顔に広がるのは、優しい笑顔。
「……ありがとう」
孫策はふっと笑い、周瑜から目を逸らした。儚げな朧月を何となしに見つめる。
「礼はいい。それより……逃げたり、するなよ。俺が言う資格はないだろうけど」
並んで月を見上げていた周瑜は、はっと身を強ばらせて孫策を振り返った。
横にいるはずの親友は、いない。
周瑜は一瞬目を見張り、すぐ表情を和らげた。さっきまで親友がいたところに手を伸ばして話しかける。
「幽霊なんているわけないのなら、どうしてあなたがここにいたんでしょうね」
一年も前に死んだはずなのにね。彼はそう言って目線を落とす。何にも触れなかった手を握り締めて。
「見くびらないでください。あなたの死から逃げるほど私は弱くありません。責任からもです。あなたの志は、必ず成します。……天下を、取る」
言い切った彼が浮かべるのは、綺麗で力強い笑み。
「だから、心配しないで……眠っていて」
朧月が、夜の庭をふわりと照らしていた。

コメント
綺麗な物語です。何度も読んでいます。景色が、自然と浮かんできます。
投稿: 舞 | 2009/02/11 20:00:00
切なさと同時に、温かいものがこみあげてきました。
本当に、素敵なお話です。
投稿: 理沙 | 2008/08/04 22:54:35