波の楽
觜本あかねさん 20歳
(関西学院大文学部1年)
■2月の書き出し
この島に流れついて、今日でもう何日になるだろうか。船の影を見たことは一度もない。
ここは、当初連れて行かれるはずだった島とは、随分離れているようだ。――権力争いに巻き込まれ、無惨にも敗れ、そのとばっちりで島流しに処せられたこの身には、いずこの島に流れ着こうとも、さして変わりはないのだが……。
自嘲(じちょう)的な笑みを浮かべようとするが、上手(うま)くいかない。海水より塩辛い水が、頬をとめどなく伝い落ちる。――私は、寂しいのかもしれなかった。自分の感情さえ、もはや分からぬ。誰かと話したい。私を船に乗せてきた船頭も、供の者たちも、皆波に呑(の)まれてしまったのだろう。気がついたときには、私だけが、浜に打ち上げられていたのだ。
人が、どれほど孤独に耐えうるものか、私は知らない。しかし、寂しがり屋ではなかったはずの私が、ほんの数日間、一人だったからといって、ここまで他者の存在を欲するとは……。潮で色あせた衣の袖で、涙を拭(ぬぐ)おうとした。その拍子に、懐からころり、と転がり出たものがあった。――笛だ。
「無事だったのは、お前と私だけか」
私は笛を拾い上げると、丁寧に砂を払って、そっと唇に押し当てた。
ふぅ、と息を吹き込むと、甲高い音が響きわたった。その音は、ここ数日間、私の耳にこびりついて離れなかった波の音を、清らかに流し去っていった。
私はその場で座り直し、背筋を伸ばして笛を構えた。都で知らぬ者はない笛の名手と謳(うた)われた私が、醜い権力争いに巻き込まれてからというもの、ゆっくり演奏する間もなかったとは……。
私は心ゆくまで笛を吹いた。もはや寂しさなど感じない。すべての感情はきれいに洗われて、ただ、今こうして自分があることの喜びが胸を貫いた。空は限りなく高く、海は果てしなく広い。この美しき天地のはざまに、生きていることの幸せよ!
私は息を深く吸い込むと、笛を構え直して眼を閉じた。波の音が、風の音が――この世の動いてゆく音が、聞こえる。その壮大なる調べに添うように、私の笛が楽を奏でる。私は、ひとつの楽器となっていた。私が楽であり、楽は私である。ああ、このままずっと、こうしていたい。煩わしかった波の音さえ、今や美しい調べとなって私と融けあっている。
――私は無心に笛を吹き続けた。いつまでも、いつまでも……。
この島に流れ着いて、もう何年、いや何百年過ぎたのだろう。私は今でも浜辺に座り、笛を吹き続けている。その証拠に、ほら。私の身体も笛も朽ち果てたが、私が居た場所に潮風が吹き寄せると、澄んだ高い音が響くのだ。――まるであの日の笛の音のように、波の音と融けあいながら。
[2007年2月26日掲載]
哀切の極み。これこそ小説だから表現できる世界。神々しいまでの静けさに、うっとりしました。もう何も言うことはありません。ただ小説から流れてくる潮騒と蕭々(しょうしょう)たる笛の音に耳を澄ませることにします。

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